江戸城の遺構が佇む皇居東御苑を散策

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皇居東御苑

北の丸公園の中にある国立科学技術館に行ってあと、まだ時間に余裕がありましたので、皇居東御苑を北桔梗門から大手門まで突っ切って、国際フォーラムの中にある相田みつを美術館に行ってみることにしました。

国際フォーラムにある相田みつを美術館に行きました

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皇居東御苑が解放されるまでの流れ

皇居は江戸城が無血開城した後、江戸遷都の話しが持ち上がり、明治元年7月17日に江戸を東京と改称する詔書が発せられました。9月20日には明治天皇が京都を出発し、10月13日に江戸城に入城しています。

明治21年には旧西の丸に明治宮殿が完成、皇居を宮城と称する告示が発せられました。皇居に残る石垣や門などは学術的価値が極めて高いため昭和38年に特別史跡に指定されています。

皇居東御苑とは?

皇居東御苑は千代田区の皇居の東側にあるエリア一帯で、広さが21ヘクタールあります。こちらにはかつての江戸城の本丸、二の丸、三の丸があったところで、1968年に一般向けに公開されるようになりました。

皇居東御苑の出入口は大手門、平川門、北桔橋門の3つです。入園者が一番多く使うのは、大手門です。旧江戸城の正門で諸大名はこの門から登城しました。

今回は北の丸公園から向かいましたので、北桔梗門から中に入りました。堀をわたる橋の上に警察官、そして門をくぐったところに受付があります。こちらには、かなり昔、来たことがあるのですが、そのときにはこちらの受付で、何か手続きをして札のようなものをもらった記憶があるのですが、今回は何も手続きは必要なく、そのままなかに入ることが出来ました。入場料は無料です。

北桔梗門は断崖のような石垣にかかっています。かつては橋を跳ね上げて本丸への通行を完全に断つ防衛的役割を担っている門でした。

北桔梗門から入っていったところ、すぐのところに天守台がありました。

天守台

江戸城の天守閣は三回にわたり建て替えられています。現存する天守台は1657年の大火で焼失した翌年に加賀前田藩によって築き直されました。

天守台

このあと、本丸へと向かいました。大きな芝生の広場があって、とても気持ちが良いです。本丸を突っ切って、汐見坂に行きました。

汐見坂の案内板

汐見坂

白鳥濠

三の丸尚蔵館

こちらは三の丸尚蔵館です。代々、皇室が受け継いできた絵画や工芸品などの美術品が国に寄贈されたのを機に1992年に建設されました。現在では約9800点の美術品類が収蔵されています。

三の丸尚蔵館

百人番所

汐見坂を下りると、本丸から二の丸になります。そして、大手門へと歩いていきます。大手門が近づくと百人番所がありました。本丸・二の丸へ続く大手三之門を警護していたところです。鉄砲百人組と呼ばれる甲賀組・伊賀組・根来組・二十五騎組の同心100人が昼夜交代で警護にあたっていました。

百人番所の案内板

長大な建物で南北の長さは45メートルもあります。

百人番所

近くには大番所、同心番所もあります。

大手門

大手門へと出てきました。大手門は旧江戸城の正門であり、参勤交代が行われていた江戸時代には諸大名はこの門から登城しました。かつては門の前に大手門橋がかけられていましたが、1918年に埋め立てられました。

大手門

今でも都心にこんなに緑豊かなところがあるというのは素晴らしいことだと思いました。

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