江戸情緒が残る福島県の大内宿を散策

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福島県の大内宿

二本松市にある智恵子の湯という旅館に行く途中、東北道が渋滞で大変なことになっていたので、あえて遠回りをして、会津西街道を使って会津若松へと向かいました。途中、有名な宿場町であれ大内宿に寄ってみました。

こちらの大内宿は江戸時代の宿場町の雰囲気を今に残す、非常に貴重な民家の集まりです。こちらの道は下野街道、あるいは会津西街道、南山通りと呼ばれる道で、江戸の昔にはこちらに参勤交代の大名行列も通ったそうです。

幕末から明治に入ると、大内宿は戊辰戦争の舞台になりました。戦線を維持できなくなった会津軍は大内宿を焼き払おうとしましたが、名主の阿部大五郎さんが「自分の全財産を渡すから焼き払うのだけは勘弁してほしい」とコンがんしたのだそうです。

しかし、明治17年に国道121号線ができた際に、こちらは道筋から離れて取り残されてしまいました。母屋の多くは江戸後期から明治にかけて建築されたものです。町並みは美しかった日本の原風景を今に伝えています。鉄道路線網整備や国道から離れたところにあったがために近代化から取り残されたことで今日まで景観が大きく損なわれなかったことが、このような風景を奇跡的に残すことができた大きな要因の1つです。

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整備された駐車場

とても有名になったので覚悟はしていましたが、本当にたくさんのクルマが大内宿を目指しています。駐車場が大丈夫なのか気になりましたが、現地に着いてみると、まったく問題にならないほど、たくさんの駐車場が準備されていました。

大内宿の駐車場

大内宿の駐車場

こちらは有料駐車場に並ぶクルマの列です。

有料駐車場に並ぶクルマの列

道を走っていくと最初に臨時駐車場があります。臨時駐車場から大内宿までは10分弱は歩く形になります。

その上の駐車場はクルマの列ができていて混雑していたので、臨時駐車場にクルマを停めました。

あとから気がついたのですが、普通の駐車場は有料だったようですが、臨時駐車場は無料になっていました。

大内宿へ

あとは大内宿まで歩きます。少しだけ上り坂です。やがて、大内宿の入り口に着きました。こちらが大内宿の入口になる場所です。

大内宿の入口

大内宿を守る住民憲章がありました。実は大内宿の子どもは年一回の8月15日にしか宿場内で花火ができないそうです。旧大内分校の校庭で大人が見守る中で花火を楽しのだそうです。

用水路の横には消火用の28機の放水銃も完備されています。

大内宿を守る住民憲章

本当にたくさんの人が歩いていて驚いてしまいました。まるで、混んでいる時のディズニーランドの通りのようです。もしも、ディズニーランドの中に日本の昔の街並みが再現されていたら、こんな感じになっていたのでしょう。

少し歩くと、鳥せいろ飯を扱っているお店がありました。とても良い雰囲気です。

鳥せいろ飯を売っているお店

道の両側には色々な民芸品などを売っているお店が並んでいます。

民芸品を売っているお店

こちらは大内宿の案内です。

大内宿の案内

茅葺き屋根の民家がずっと並んでいます。

茅葺き屋根の民家

大内宿の街並み

側溝には綺麗な水が流れていました。お店によっては、こちらにラムネを冷やしながら売っています。

大内宿の側溝

蔵もありました。

蔵

大内宿

火の見櫓もあります。

大内宿の火の見櫓

宿場の真ん中あたりには、街並み展示館があります。

街並み展示館の案内

街並み展示館

大内宿本陣跡に宿駅時代の本陣を復元したものです。この本陣は図面などが見つかっていないため、同じ会津西街道にある川島本陣や糸沢本陣を参考にして再建されたそうです。

宿場町の外れにある高台は、宿場町を見下ろすことが出来るビュースポットです。たくさんの人が集まっています。

大内宿の高台

よくテレビでも特集されていますが、実際に現地に行っても確かに素晴らしい場所でした。

【2019/08/18追記】

南会津に旅行に行った際に、前沢曲家集落に寄りました。規模は大内宿よりも小さいですが、特徴ある茅葺き屋根の曲り家が何件か残っており、散策することができます。ちょっとした休憩できるお店やお蕎麦屋さんもあるので、ゆっくりと出来て良かったです。大内宿とセットで観光してみてはいかがでしょうか。

南会津の前沢曲り家集落を散策
会津田島のダイワリンクホテルで宿泊し、祇園会館などを見学したあと、前沢の曲り家集落に行ってみました。茅葺き屋根の曲り家が保存されている貴重な集落です。 文禄年間の1592年から1595年に横田城主、山内氏勝の家人、小勝入道沢西という人が主家...

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