小説「次郎物語」の舞台となった小金井公園近くの浴恩館公園を散策

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三鷹から小金井公園まで歩いたあと、五日市街道沿いのとんかつ浜勝でランチを食べ、近くにある浴恩館公園に寄ってみました。こちらは昭和3年に京都御所で行われた昭和天皇即位大嘗祭の神職の更衣所を移築してきた建物を中心とする公園です。作家下村湖人が青年団講習所の所長として講習生と語らい、小説『次郎物語』の構想を練った場所でもあります。

昭和48年に教育の場として利用することを前提にして小金井市に売却されて、現在は小金井市内の考古資料、古文書、民具を展示し小金井市の歩みや生活に関して展示がしてあると公式サイトで紹介されていました。

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こちらが浴恩館公園の入口です。園内は鬱蒼と樹がしげっています。こちらの橋は重量が2tのクルマまでしか走れないようです。普通のワゴン車でも1.5tはあるので、結構厳しい条件です。
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こちらが浴恩館の建物です。小金井市文化財センターとなっています。

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こちらが正面玄関になります。

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入館は無料です。看板で紹介されている通り、次郎物語の構想を練った建物なのだそうです。

次郎物語 – Wikipedia

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企画展の案内です。

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昔の自転車が展示されていました。

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館内では小金井桜に関する展示が行われていました。こちらは昔の写真に色を塗った関根橋あたりの写真です。

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小金井桜の景勝地は国分寺市と小金井市の市境あたりから境橋にかけての玉川上水沿いです。ちょうど、玉川上水に沿って五日市街道があるところが小金井桜の景勝地だったようです。

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こちらが境橋のあたりです。

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小金井桜は元文2年に幕府の命により吉野や桜川から山桜の名品を取り寄せて農民たちが植樹をしたのが始まりです。その後、文化から天保年間にかけては多くの人たちが花見にこの地を訪れました。その後、明治22年に現在の中央線の前身である甲武鉄道が開通しました。しかし開通当時は武蔵小金井駅はなく、武蔵境と国分寺に停車場が置かれました。その後、花見の季節に現在の武蔵小金井駅の場所に臨時停車場がオープンして、大正15年には武蔵小金井駅が誕生しました。

その後、戦争の影響などもあり、徐々に桜並木は手入れが行き届かなくなり、ほかの木々も繁殖して雑然として光景になってしまいました。特に昭和40年代に小平監視所下流の玉川上水への通水が停止されたことによる影響が大きかったようです。

現在の桜祭りは小金井公園の中で実施されています。

第61回 小金井桜まつりで見事な桜を見物

ただ、玉川上水沿いの桜についても復活に向けてプロジェクトが始動しています。

こちらの建物は小金井市が買収してから作られた建物なのだと思いますが、現在は使われていないようです。

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貫井村の名主であった大沢家が村人のために作った稗倉が展示されていました。
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