12月の日曜日、豊島区の南長崎にあるトキワ荘マンガミュージアムに行ってみました。今回は特に事前予約はしていませでしたので、外から建物を見られれば良いと思っての訪問です。
車はミュージアム近くのルパルクというコインパーキングに停めました。都区内なのに意外と駐車料金が安いです。昼の8時から20時までは40分で200円、昼間最大で700円という料金体系でした。
鉄腕アトムやジャングル大帝などの名作を生み出した漫画家の手塚治虫さんや、ドラえもんを手掛けた藤子不二雄さん、仮面ライダーで有名な石ノ森章太郎さん、マジンガーZの作者 永井豪さん、赤塚不二夫さんなどが若い日を過ごした木造アパート「トキワ荘」を再建した施設になります。
トキワ荘の跡地
トキワ荘は1952年12月6日に豊島区椎名町五丁目2253番地に棟上げされました。しかし、もともとのトキワ荘は老朽化のために1982年12月に解体されてしまいました。こちらがトキワ荘の跡地になります。
ここに昔、トキワ荘があったことを示すモニュメントがあります。
「豊島区椎名町五丁目(現・南長崎三丁目)にあった木造モルタル二階建てのアパート”トキワ荘”。昭和20年代~昭和30年代には、のちに日本中に名をとどろかせる多くのマンガ家たちが生活していました」という解説があります。
こちらが、どの部屋にどのマンガ家が住んでいたかが判るフロアレイアウトです。トキワ荘にゆかりがあるマンガ家は、こちらの通りです。
しかし、豊島区が2016年に建設の構想を発表して、トキワ荘が建っていた場所からほど近い南長崎花咲公園内に復元を進めました。新型コロナウイルスの影響があり、開館が遅れて、2020年7月7日に事前予約制で開館しました。総事業費は約9億8000万円です。
トキワ荘マンガミュージアム
こちらが再建されたトキワ荘になります。
こちらの建物は下記のこだわりをもって再現されています。
- 玄関は両開きの木の扉(バァーン)
- 階段の音はギシギシ
- 窓の秘密は中も外も!キラキラ
- ふすまも描き下ろしでジャーン
- 天井もお見逃しなく!(スゴッ!!)
- 看板書体は2種類あるよ!(ドン!)
- 昭和当時の「松葉」のラーメンどんぶり(エー!?) (中華料理 松葉の紹介)
傍には古い公衆電話ボックスもありました。電話ボックスの手前にあるトキワ荘看板、確かに面によって書体が違うことが判ります。
公園の中にトキワ荘の建物が建っていました。豊島区立トキワ荘マンガミュージアムです。営業時間は午前10時から午後6時まで、入場は午後5時半までです。
公園の中を歩いていると、職員の方が声をかけてくれました。「事前予約はしていますか?」と聞かれたので、「今回はしていません」と答えると、今は館内が空いているので、入館いただくことができます」ということでした。入館に必要なシートに記入して入館しました。
まずは急な階段を登って2階へ行きます。建物の奥にはエレベータがありますので、階段を登るのが難しくても見学できます。
貸している部屋は全部で10部屋、全てが四畳半の一間です。
まず最初に目に飛び込んできたのは共同の便所でした。
2階の住人が共同で使っていたトイレ。男女共用でした。奥に個室が2室と右手に小便器2か所が設置されています。マンガ家が暮らした時代は大便器は汲み取り式で用を足すと二階から一階へ土管を通って下にあるツボに落ちる仕組みでした。臭いがきつく目が痛くなるほどでした。
この便所、当時の雰囲気がよく再現されています。最近販売されている部材で再現するのは難しかったのではないでしょうか。
今度は共同炊事場です。トキワ荘には1階と2階にそれぞれ一つずつ炊事場がありました。
こちらが再現された炊事場です。こちらも昭和30年代の雰囲気がよく出ています。
テーブルの上には中華料理店の松葉の丼やカビがはえた食パン(を模したもの)などがあります。「火の用心」の貼り紙にもこだわりを感じます。
寺田ヒロオさんの22号室が再現されていました。トキワ荘メンバーからは”テラさん”と慕われました。こちらの22号室では新漫画家党の会合や夜の宴会などが頻繁に行われていました。
ちゃぶ台の上にたくさんの酒瓶がのっているのが印象的です。
部屋は典型的な四畳半です。窓にはガラスが横位置で4枚ははめ込まれているという点もしっかりと再現されていました。
こちらは赤塚不二夫さんが住んでいた16号室です。何もないので少し寂しいです。
こちらは、よこたとくおさんの20号室です。(鈴木伸一さん→森安なおやさん→よこたとくおさんと住人が変遷しています)
テーブルの上は原稿が並べられていました。こちらの部屋の再現展示は時期によって、鈴木さん、森安さん、よこたさんが入れ替わります。
ステレオセットや将棋盤なども置いてあります。
水野英子(ミズノヒデコ)さんの19号室です。
部屋の左側に柳行李のスーツケースが置かれていることが印象的です。窓際には小さなテーブル、こちらで執筆活動をされていたのでしょう。石ノ森章太郎さん、赤塚不二夫さんと「U・マイア」で執筆するためにトキワ荘に入居しました。「U・マイア」とは水野英子さん、赤塚不二夫さん、石森章太郎さんの3人合作時の共同名義です。
漫画を描くための画材が展示されています。
コロナでなければ、17号室では漫画家体験ができたようです。
17号室は石ノ森章太郎さんの部屋です。
16号室は赤塚不二夫さんです。
18号室は山内ジョージさんです。上京後、1960年9月から1962年3月までトキワ荘に住まれていました。石森章太郎さんや赤塚不二夫さんのアシスタントを経て独立しています。漫画家としてはトキワ荘最後の住人とされています。
こちらはトキワ荘のミニチュアです。当時の温かい雰囲気の光景が再現されています。
トキワ荘マンガミュージアムの開館時のポスターも展示されていました。
こちらはトキワ荘ゆかりの地の散策マップです。トキワ荘の見学が終わった後はこちらの地図を参考にして散策するのも面白そうです。
トキワ荘通り
漫画家の皆さんにゆかりのあるお店が多い、トキワ荘通りです。
ラーメン松葉
ラーメンで有名な松葉です。
中華料理 松葉については、こちらで紹介しています。
奥には子育て地蔵尊です。
こちらは、トキワ荘通りのお休みどころです。
紫雲荘
こちらはトキワ荘があった場所の近くにある紫雲荘です。ト 赤塚不二夫が仕事場として借りていたことで知られています。
紫雲荘の建物は1959年築の2階建てです。Wikipediaによれば、豊島区では2011年から若手漫画家のためにトキワ荘の代わりとして紫雲荘への入居費用補助などの支援をする「紫雲荘・活用プロジェクト」を実施していると紹介されていました。
トキワ荘通りには、そんなにたくさんの人は歩いていませんでした。
猛スピードで走っていく車がいるのでとても危ないです。ガードレールがありませんので、道を歩くときは注意をして歩いたほうが良いです。
杉並区にある杉並アニメーションミュージアムも見応えがあったので、合わせて紹介します。
コメント