中国の大連に行った際に半日だけ自由時間がありました。この時間を利用して大連市街からクルマで1時間ほどの旅順に足をのばして、東鶏冠山北堡塁というところに行きました。
東鶏冠山は海抜が119メートルほどのとても低い山です。鶏冠に似た形をしているので、この名前が付いたそうです。
帝政ロシアは1898年に旅順・大連を清国からとったあと、旅順を長期的に占領するために旅順の東鶏冠山に堡塁を築きました。
この堡塁のかなりの部分が残っており、これが公開されています。
現地には月曜日の午後2時ごろにつきました。この日は氷点下でしかも風が強かったので、旅順はとても寒かったです。こんな気候でしたので、観光客は他に一組しかいませんでした。閑散としています。
駐車場で車から降りて、まずは展示館へ向かいました。
クルマから降りた場所の近くにある広場です。
広場の真ん中には彫刻がありました。あまり、戦跡があるようなイメージではありません。
周辺の地図がありました。
こちらは展示館の中に入ったところです。
写真パネルによる展示が多いです。主に旅順の歴史や日露戦争に関する展示でした。
こちらは旅順周辺の地図です。
当時の爆弾も展示されていました。とても大きいです。こんなものが飛んで来たら本当に怖いと思います。
こちらは展示室の入り口です。
当時のロシア軍が作った施設の入り口です。
内部には入ることはできませんが、深く掘り下げられて、かつ遠くまで続いていることがわかります。
壁の部分は無数の攻撃を受けた後がありました。
壁が延々と続きます。ところどころ、攻撃による穴があいています。
無数の攻撃の跡です。
施設はさらに続きます。
こちらは指揮部の入り口です。
こちらは弾薬庫になります。
こちらは兵舎があった場所です。
一階と二階を区切っていた床の部分は崩壊していますので残っていません。従って、縦長の空間に見えます。
施設の構造はとても複雑でした。また、たくさんのコンクリートも使われています。コンクリートには大きな砂利も使われているせいか、今のコンクリートと比較すると、少し質が悪いように見えます。
施設の内部は構造が複雑になっており、司令部、兵舎、治療室、弾薬庫などがあります。
施設の老朽化が進んでおり、崩れる可能性があるためだと思いますが、当時の施設の中に入ることができる場所はごくわずかです。あとは柵越しに見る形になります。
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