銀河鉄道999松本零士こころの古里「愛媛県大洲市新谷」の街を散策

大洲で古い町並みや思ひ出倉庫などを見学したあと、新谷町というところにも寄ってみました。銀河鉄道999の石碑があるという情報を見つけたためです。なぜ、愛媛県に銀河鉄道999が関係しているのかよく分からないまま、石碑があるところまで行ってみました。JRの新谷駅からも近い大洲市役所連絡所&新谷公民館(大洲市農業環境改善センター)というところに石碑があります。

住所は、「愛媛県大洲市新谷乙1507-3 」です。

こちらが石碑です。丸い球体にメーテルなどが描かれています。

銀河鉄道999の作品中での鉄郎は終着駅であるアンドロメダへ行くことにより自分の夢が叶うと信じ、「選んで出た自分の旅がいつかきっと素晴らしい終着駅につく」と想いを語っています。作者の松本零士氏は「個々の目的や目標など違いはあるけど自分を信じ自信をもって行動すればいつか必ずかなう」と言われていて、銀河鉄道999作品の起源となった始発駅新谷から夢の終着駅へ到達した松本零士氏の経験がこれから夢を追い旅立つ人々へのメッセージとなるよう新谷から世界へ、そして銀河へ広がるイメージを具現化したモニュメントとのことです。

松本零士氏の両親は大洲市出身で、昭和19年から3年間、6歳から8歳までのときに疎開したのがこちらの新谷だったとのことです。

公民館の入口の前にメーテルと鉄郎の絵があったので近寄ってみました。

公民館の中がどうなっているのかも気になって、建物の中に入ってみました。すると、館内にも銀河鉄道999に関する展示が多くありました。どうすればよいのか辺りを見渡していると公民館の職員の方が出てきてくれました。「どちらから、いらっしゃいましたか。ぜひ見ていってください」と声をかけてくれました。靴を脱いであがればよいようです。

ここからはその職員さんによって一つ一つの展示物について展示内容の説明をしてくれました。

最初に説明してもらったのがこちらの写真に写っている左側の絵です。

メーテルと鉄郎が999を見あげている絵ですが、実はこの絵こそが松本零士氏のこころのふるさと新谷を描いた絵なのだそうです。こちらの絵は新谷小学校の玄関の壁画(縦2.3メートル、横5.8メートル)に描かれています。(残念ながら実際の壁画見学は事前に新谷小学校に許可を取っておく必要があります)

新谷小学校の壁画

松本零士氏の疎開先は矢落川の北側にあり、当時は高い堤防も無かったので内子線を走る蒸気機関車が牽引する列車を見ることができたそうです。そんな列車を夜見ると、列車が宙に浮いているようにも見えて、そんな情景が心の中に残り銀河鉄道999につながったということを教えてくれました。絵の後ろに見える小高い山は標高654メートルの神南山です。また、水田も描かれていますが、この絵を見た地域の方々が、「ここはうちの畑だ」と分かるほど精密に描かれているそうです。

銀河鉄道999の車掌さんです。

こちらはメーテルです。

銀河鉄道999のヘッドマークです。

松本零士氏は新谷地区を「心のふるさと」と呼び、大洲市からの講演依頼などには快く応じて何度も足を運んでいただいたそうです。晩年はスタッフの方と一緒に来ていましたが、それ以前は一人でふらっとキャップをかぶって来てくれて、ベレー帽に変えることで松本零士氏に変身されていました。

松本零士氏が亡くなったときにボードにファンの皆さんが寄せ書きをしました。

イベントで使われる銀河鉄道999の大型模型があります。

この蒸気機関車のレプリカなどは2016年10月に行われた「零士ワールドin大洲」というイベントで使われました。川の堤防の上に蒸気機関車を先頭に218(にいや)名分のテーブルと椅子を並べて食事をするという内容でした。当日は特製コースター、新谷名物もみじ饅頭、お弁当、水素水が配られました。

松本零士氏の奥様も漫画家で牧美也子さんという方です。下のロケットに乗っている絵は奥様の作品とのことです。また、夕焼けの空に編隊を組んでたくさんの飛行機が飛んでいる絵は松本零士氏がこの新谷で終戦から2日後に見た景色です。

NHKの放送文化遺産の動画の一つに松本零士氏が新谷で見た戦争体験が語られています。飛行機から機銃照射されたときの話や不発弾を拾った話しなど多岐におよんだ話しを聞くことができます。

素晴らしい作品が多く展示されていました。石碑を見た際には公民館の館内も必見です。

この見学のときに教えてもらった新谷小学校と瑞安寺にも行ってみました。新谷小学校に行く際にはアンドロメダパーキングにクルマを停めると便利です。

アンドロメダパーキングの前から新谷小学校を見たときの写真がこちらです。

新谷小学校前には旅するメーテルの石像があります。

こちらの新谷小学校(当時は新谷国民学校)には松本零士氏も通っていました。各部屋のプレートにも、例えば保健室には森雪、銀河ルームにはメーテルと鉄郎の絵、事務室は古代進、職員室は鉄郎&メーテル、校長室には車掌さんが描かれています。

続いて、松本零士氏の親友「卓ちゃん」のお寺、瑞安寺へと行きました。途中からとても狭い道になるので注意が必要です。瑞安寺の駐車スペースの前に松本零士「少年遊々地」の石碑がありました。

柿の木に登っている2人の少年、そして、「おい松本、十年たってもオラを忘れるなよ」「誰が忘れるもんか卓ちゃん」と書かれています。

こちらが瑞安寺です。

新谷の町にはまた機会があれば行ってみたいです。

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