明治の近代産業遺産「小坂鉱山事務所」を見学

小坂鉄道レールパークを見学したあと、明治百年通りをクルマで走って、小坂鉱山事務所に向かってみました。明治百年通りは旧小坂鉄道の廃線跡に沿っている道で、道の両脇にはのぼりが立っています。

こちらが明治百年通りです。この日は三連休二日目の日曜日でしたが、小雨模様だったこともあり、観光客の数はこの日は少なかったです。

ところどころに明治を思わせるブロンズ像が立っています。

こちらが国指定重要建物面積は232.30坪、定員は607名、木造2階建て(一部地下一階)、アメリカ木造ゴシック風建築で文化財の康楽館です。明治時代の芝居小屋で小坂鉱山の繁栄と鉱山町の遺構としてとても貴重な建物です。こちらでは今でも芝居をしているのですが、令和7年の公演は2025年10月28日で終わっているため、この日の公演はありませんでした。

康楽館の建物を横から見るとこのようになっています。特に後ろ側については、古い木造建築物であることがよく分かります。

こちらの建物は1904年に建築された旧小坂鉱山工作課原動室です。こちらに移築されたあと、カフェ(赤煉瓦倶楽部)として2015年にオープンしました。この日は残念ながら冬季の休暇期間で営業していませんでした。

そして、旧小坂鉱山事務所が見えてきました。

旧小坂鉱山事務所を見上げるブロンズ像が設置されています。

さっそく、小坂鉱山事務所に行ってみます。事務所と聞くと、平凡な建物を想像しますが、こちらの建物を見ると、まるで迎賓館のようなものを想像させます。いかに小坂という街が栄えていたかということなのでしょう。天然秋田杉で作られた3階建ての建物です。

1905年に藤田組小坂鉱山の本部事務所として建設されました。その後、1997年まで事務所として使われていましたが、工場増築に伴い解体、小坂町に無償譲渡されました。2001年に小坂町の明治百年通り構想に伴い旧小坂鉱山病院跡地に移築されて現在に至っています。

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小坂鉱山事務所の館内へ

この日の営業時間は午前9時から午後4時まで、残念ながら2階のレストランあかしあ亭は冬季休業中でした。

こちらは螺旋階段を登って、2階のバルコニーから撮影した正面側の写真になります。赤煉瓦倶楽部の向こう側に康楽館が見えます。(エレベーターもありますので、バリアフリーになっています)

バルコニーには当時、鉱山を経営していた藤田組にあやかって藤の花が装飾に使われています。探してみてください。

こちらはツーリストサロンです。団体旅行のお客さんがこちらを利用するのにちょうど良さそうです。

小坂の街の地図が床面にあり、各スポットに説明のための案内板が立っています。小坂の全体像を理解することができます。

小坂では約30年前に鉱物の採掘は終えましたが、2007年から新しい取り組みとしてリサイクル精錬を始めています。

2階には中庭があります。こちらは2階の廊下からの景色であることを忘れてしまいそうです。

クリスマスを祝うクルト・アドルフ・ネットーの像です。このクルト・ネットーは4年かけて銀の溶鉱炉を作り小坂鉱山は飛躍的に発展しました。

クルト・ネットーが小坂に来たのは明治6年12月20日、ちょうどクリスマス前の時期だったため小坂の人々を集めてクリスマスパーティーをしたと言われています。明治6年はキリスト教が解禁となった年なので、このクリスマスパーティーは日本の中でも最初のクリスマスのうちの一つだったと言われています。

小坂鉄道の列車が再現されていました。車内でも映像が流されています。

小坂駅の駅名標の復元です。

こちらでは康楽館の賑わいを感じることができます。

こちらは商談をしているのでしょうか。

また、廊下を奥へと進んでいきます。

こちらは限られた鉱山の幹部だけが入ることを許されたという所長室になります。

一階ロビー

一階のロビーにはこちらの映写機が保存・展示されていました。

ケヤキを用いたモダンな螺旋階段です。1階から3階までつながっています。

小坂鉱山事務所ではウェディングドレスやイブニングドレスなど、いろいろな衣装を貸し出してくれます。この螺旋階段など、事務所内のいろいろな場所で記念写真を撮ることができます。

小坂鉄道の茂内駅

小坂町をあとにして、大館駅へと向かいました。この道は旧小坂鉄道に並行する道です。廃線跡が残っていることがよく分かりました。こちらは列車交換もできた茂内駅の遺構です。こちらの駅には軌間を1,067mmにしたあとのホームと、ナローゲージだったときのホームの両方が残っているとのことです。ただし、現在は立ち入り禁止になっていますので駅構内に入ることは出来ません。

こちらの建物は当時の事務所かな?とも最初は思ったのですが、旅客扱いをしていた当時の駅舎とのことです。この駅舎、あとから作られた茂内駅を示す看板がありますが、現役のときには、茂内駅だと分るようなものはなかったそうです。逆に列車が走るホーム側には茂内駅と大きく書かれています。地域の方々にはここが茂内駅だということは当然のことなので、列車に乗っている人に今どこにいるのかが分るようにしていたからだろうということです。

まだ、当時の貨車がそのまま残されていました。

貨車の手前にTの字の柱がありますが、ここには腕木式信号機や転轍機(ポイント)を操作するためのワイヤーが通されています。雪国では地表面にワイヤーを通すと降雪により動作しなくなってしまうので、このように高いところを通しているのだそうです。

駅前には簡易郵便局があるのですが、こちらで切手を貼った封書などに風景印を頼むと押してもらえるそうです。この風景印には小坂鉄道の腕木式信号機などが入っている風景だそうです。

小坂鉱山事務所はとても見応えがある施設でした。

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