日光の東照宮を散策

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奥日光湯元温泉の「おおるり山荘」に行く途中、日光東照宮にも寄ってみました。神橋を渡ったところで右に曲がって大駐車場へと向かってみたのですが、道が渋滞しています。午前10時頃だったのですが、駐車場がすでに満杯になってしまったようです。

そのままゆっくりと進んでいくと、右手に美術館(小杉放菴記念日光美術館)の駐車場があったので、そちらにクルマを停めました。参拝者も停めて良いという案内がありました。こちらは1日510円となっています。

美術館の駐車場から東照宮まで歩きます。渋滞で並んでいる車列の横を歩く形になります。やがて、東照宮の大駐車場につきました。やはり大変に混雑しています。出てくるクルマもあるので、徐々に車を受け入れています。


  

東照宮の正門はこちらから階段を昇っていきます。

石垣にも苔がびっしりとはえていました。周辺の林も含めてなんだかパワーが宿っている感じがします。

 

こちらは剣道復活の地なのだそうです。調べてみると、こちらの建物は大正4年に東照宮300年祭を記念して建てられた参拝人休憩所が前身です。そして、昭和6年に増改築され「武徳殿」となりました。戦後には米軍の占領政策によって武道が禁止状態になってしまいましたが、昭和26年に「日光剣道大会」、昭和27年に「全日本剣道大会」が開催されて、「戦後剣道復活の地」と称されるようになりました。

さらに進んでいくと、近代的な建物がありました。日光東照宮宝物館です。中にある東照宮シアターというところで、国宝 陽明門、徳川家康という二種類の作品が上映されているようです。

 

個人の料金は大人1000円、小人400円でした。券売機で購入します。
  

さらに進んでいくと東照宮の参道に出ました。

大きな鳥居が見えてきました。真ん中は神様が通るところなので、端っこのほうを歩きます。先に見える石鳥居は福岡から船で運んできたとテレビ番組で紹介されていました。石鳥居としては最大級のものだそうです。

 


こちらの石鳥居は1618年にたてられました。石材は九州から船で小山まで運ばれて、そこからは陸路でこちらまで運ばれてきたそうです。重機がなかった当時、いったいどのように運んだのか気になるところです。

 

こちらの参道は奥に行くにしたがって幅が狭くなっていきます。遠近法を活用しているそうです。

こちらは、日光東照宮の五重塔です。初代は1650年に作られて1815年に焼失しました。そして二代目が現在の五重塔で1818年に建築されました。高さは36メートルもあります。
  

パワースポットの一つ、五重塔です。不思議な心柱、金色の直径60cmの柱です。この心柱は上から吊り下げられている珍しい構造です。この技術は東京スカイツリーにも使われているのだとか。免震に大きな効果があります。また、頭を重くして安定感を出しているとのことです。東日本大地震のときにも損傷はありませんでした。

こちらは三神庫です。上神庫・中神庫・下神庫があります。

写真には撮れませんでしたがこの辺の石畳は菱形になっていて、角が指し示す方向に進んでいけばよいように設計されています。

 


  

こちらは神厩舎です。ご神馬を建物の中につないでおく厩です。実際に中には馬がいました。昔から猿が馬を守ると言われていることから、猿の彫刻が8面、人間の一生を風刺するように彫られています。特に「見ざる・言わざる・聞かざる」の三猿が有名です。

子どもの時は素直に生きて欲しい、身が美しいと書いて躾となります。


見ざる言わざる聞かざるです。


  

鳥居の向こう側に見える陽明門は工事中です。

上の写真、鳥居の右側にある灯篭は伊達政宗が奉納したものだそうです。


  

  

陽明門の中はベニヤ板が貼られて工事が行われていました。扇風機が置いてあるのが少し似合いません。

唐門です。

奥宮に進んでみました。入口の上に眠猫の彫刻があります。

眠猫のアップです。

奥宮へと進んでいきます。この奥には階段が続いているので昇るのが結構大変です。

踊り場には「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くが如し急ぐべからず」と書かれています。

 

奥宮に着きました。
  
  

叶杉です。

 


  
  
  

 

【2016年1月31日追記】

NHKで放送された「ブラタモリ」の日光東照宮特集を見ました。東照宮をただ参拝しただけでは気が付かないようなことを丁寧に説明してくれてとても面白かったです。できれば、もう一回、東照宮に行った際にじっくりと観察したいと思います。

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