高知に一泊2日の旅行に行った際に1日目のうちに高知市街地の観光が終わったため、2日目は高知近郊の観光をすることにしました。
四万十や足摺岬の方面に行くことも考えたのですが、夕方の飛行機の時間を考えると距離的に不安でしたので、今回は安芸市の方面に行ってみることにしました。
安芸市を観光する中で立ち寄ったのが、三菱財閥創始者の岩崎弥太郎の生家です。当時の建物がそのまま残っているというのは素晴らしいことです。今でも岩崎家の持ち物で、岩崎家で維持、公開されているそうです。
駐車場はかなり広いスペースが割り当てられています。バスなどの公共交通機関では行きにくい場所にあったので、クルマでくる方が多いのではないでしょうか。観光シーズンには混雑するのではないかと思います。
駐車場には安芸市の観光マップがありました。
駐車場には岩崎弥太郎の大きな銅像があります。
駐車場から生家までは歩いて1分ほどの距離です。
こちらが生家の入口です。立派な長屋門があったりということはありません。簡素な造りです。
中に入ると、高齢のガイドの方がいらっしゃって、生家の説明をしてくれました。これが東南アジアなどではガイドが終わった後に料金を請求されそうですが、こちらは着ているものや名札を見ると公式のガイドさんのようでしたので、そのまま説明を聞きました。
最初に案内されたのが前庭にある日本列島を模した石です。岩崎弥太郎はこの石を庭に置いて、これを見ながら夢を構想したと言われています。
ガイドさんが以前案内した庭師の方からは、子どもがこんな岩を持ってきて配置するのは無理だろうと言っていたそうです。ただ、ガイドさんとしての考えは、昔のよ岩崎弥太郎はガキ大将で仲間を何人も使って岩を持ってきて置いたのだろうと話していました。
続いて、碑の後ろに蔵が見えますが、その蔵の上にある鬼瓦がしゅだいです。
こちらの鬼瓦は三階菱と呼ばれていて岩崎家の家紋でもあります。
この家紋から三菱のマークを構想したと言われています。
【2016/05/01追記】
燃費偽装
三菱自動車で燃費表示の不正が発覚しました。燃費を補正する上で必要となる抵抗値を決められた方法で計測しなかったというもので、日産自動車からの問い合わせで発覚しました。三菱自動車はリコール隠しで一回、信頼を失墜していますが、またか?というイメージの出来事です。
三菱グループのブランドイメージが深く傷ついた形となりましたが、今後、この事件がどのような経過をたどるのか気になるところです。
【2021/03/08追記】
週刊ダイヤモンド
雑誌のプレジデントを読んでいると、岩崎弥太郎は土佐の地下浪人という下級武士の出身で1866年に34歳で開成館長崎出張所の主任者となるまではフリーターに近いような腰の据わらない前半生を過ごしたと紹介されていました。
しかしその後は土佐藩の経済官僚として認められて、海運業や貿易業を任されるようになると1871年に三菱創業の起点となる三ツ用商会を設立、その後わずか十数年で国内有数の事業家に成長した、いわば遅れてきた青年だと紹介されていました。
34歳までのフリーターの時期にどんなことで素養を作って行ったのか、とても気になりました。
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