アクアリゾートいるまの湯に行ったあと、少し時間があったので、稲荷山公園にある狭山市立博物館に寄ってみました。iPhoneのアプリで周辺の施設を探している中でこちらを見つけました。
この博物館は西武線の稲荷山公園駅からも近く、とにかく駐車場が混雑しています。約100台分の駐車スペースがあるようですが、場内をぐるっと回って、影のところにようやくあきスペースを見つけました。
後ろにも何台もクルマが来ていましたが、しばらく待つような形になってしまいました。また、駐車スペース以外にもクルマがたくさん停められています。従って、クルマを非常に停めにくかったです。やはり、入口にコイン式パーキングのようなゲートを設けて駐車券を博物館に持っていくと駐車料金が無料になるような仕組みを設けないと厳しいのではないかと思います。
入り口から建物の中に入ると、右手には喫茶スペースがありました。メニューがお店の前に出ていたのですが、ランチなども置いてあるようです。
その先にはすぐに受付があります。こちらで、大人一人150円を支払います。ちょうど、企画展示が実施されていて、それに関連して、少し離れたところにある米軍住宅が開放されているそうです。歩いていかなければいけないようですが、米軍住宅までの地図も貰いました。
一階にはいかにもアメリカっぽい各種の標識が展示されています。この展示エリアの周りは、スロープがあり二階に上がることができるようになっていました。
今まで、市立博物館には何箇所か行ってみましたが、どこの施設も基本的には人が少なく空いています。しかし、こちらの狭山市立博物館はかなりたくさんの人が食い入るように展示を見ているのがとても印象的でした。
常設展示
二階に上がると、企画展示の部屋と常設展示の部屋への廊下が分岐していました。最初に常設展示の部屋へ行ってみました。常設展示の部屋、企画展示の部屋ともカメラ撮影は禁止です。ただ、企画展示の部屋にあるジオラマは撮影可能なようでした。
常設展示は縄文時代から始まり、中世、江戸、明治、大正、昭和と進んで行きます。この展示方法自体はよくあると思います。ただ、こちらの展示室はとても広いので、色々な展示物がありました。古代のエリアには大きな「アケボノゾウ」の骨格標本があります。狭山の地にもこんなに大きな象がいたというのはなんだか不思議な感じがします。
入間馬車鉄道
また、入間馬車鉄道の馬と客車の原寸大レプリカが展示されています。入間川から飯能までの約10Kmの区間を運行していたそうです。1901年に開業、そして1917年に全線が廃止されました。きわめて短命な鉄道だったと言えます。
ジョンソン基地とハイドパーク展
常設展示を見て回ったあと、今度は企画展示の方も見てみました。こちらは、「ジョンソン基地とハイドパーク展(アメリカ文化に触れた頃)」という展示です。昔、狭山市と入間市にまたがって陸軍の航空士官学校があったそうです。その場所は戦後にアメリカの第五空軍進駐しジョンソン基地となりました。
狭山市立博物館は稲荷山公園の一角にありますが、この公園はたくさんの将校用住宅が建ち並んでいたそうです。当時はハイドパークと呼ばれていました。
そして、ハイドパークや基地の周辺に建てられた住宅は「ハウス」と呼ばれていて、ジョンソン基地が日本に返還されたあとは色々なアーチストがこの住宅で暮らして創作活動を行いました。部屋の中央にはハイドパークのジオラマ模型があります。そして、まわりの壁には貴重な昔の写真を中心にした展示が行われていました。大正天皇の行幸、稲荷山公園の誕生、陸軍航空士官学校、ジョンソン基地とハイドパーク、返還などの時代別に展示されています。
特に米軍から返還されたあと、米軍住宅に住んだ若者達の中に、細野晴臣の名前もありました。狭山市鵜の木にあった米軍住宅にレコーディング機材を持ち込み、「HOSONO HOUSE」という1枚目のアルバムを作りました。このときのバックの演奏メンバーは小坂忠、林立夫、松任谷正隆、駒沢裕城、鈴木茂だったそうです。
常設展示、企画展示とも非常に中身の濃い展示で参考になりました。企画展示を見終わったあと、歩いて実物の米軍住宅を展示している第二会場へと向かいました。こちらの様子は次のエントリーで紹介します。
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