昭島市にある「くじら運動公園」というところにいってみました。JR八高線が多摩川を渡る鉄橋のすぐ横にあります。こちらは野球場やサッカー場などの施設が設けられています。
太古の鯨の化石
昭和36年に八高線の鉄橋下で全長16メートルもある太古の鯨の化石が発見されたため、くじら運動公園という名前がつきました。
昭島市といえばかなり東京湾とも離れていて、内陸部に位置しています。くじらが多摩川を遡ってきたということもありえないので、なぜこんなところで鯨の化石が見つかったのかが気になるところです。
実はおよそ200万年前に昭島市の辺りは海だったそうです。近海をこのむ種類の鯨はこの辺を悠々と泳いでいたと想定されています。その中の一頭が海底に横たわり比較的早く砂などの堆積物に覆われたことにより化石化し、そのご、多摩川河川敷で姿を表したのではないかと考えられています。
通常は河床は砂利などで覆われていますが、この時期、この場所は戦後のビル、道路建設の需要の高まりから砂利が採取されていて200万年前の地層が露出している状態でした。
鯨の化石が発見されたのは昭和36年8月20日の昼過ぎ、多摩川河川敷JR八高線多摩川鉄橋の11番橋脚の下流約36メートルの地点で見つかりました。緯度は北緯35度41分41秒付近、経度は東経139度21分48秒付近です。
アキシマクジラについて
このクジラはいつしかアキシマクジラと呼ばれるようになりました。2018年に発表された論文によれば、これまで世界で発見されたことのない、コククジラ属の新種に認定されて、エスクリクティウス アキシマエンシスと命名されました。この化石は原則非公開ですが、2020年3月にオープンする昭島市教育福祉総合センターに原寸大のレプリカとともに化石の一部が展示される予定です。こちらが公式サイトです。
原則非公開としているのは、この化石が模式標本に指定され、厳重に管理する必要があるためです。今後、世界のどこかで化石が発掘され、それを研究する場合、アキシマクジラの化石は学名Eschrichtius akishimaensis エスクリクティウス アキシマエンシス模式標本番号GMNH-PV-3210の模式標本として基準になるので、研究者に公開しなければならないため非公開になっていると説明されていました。
駐車場
くじら運動公園には駐車場もあります。かなりの台数のクルマが停められるようになっていましたので、混雑していても大丈夫なのではないかと思います。
クルマを置いたあと、付近を歩いてみました。
こちらは周辺の地図です。
鉄橋の下ではバーベキューをしていました。
蒸気機関車の車輪の展示
土手の上には蒸気機関車の車輪が置かれています。
八高線多摩川鉄橋事故
この八高線の鉄橋の上で、終戦直後(1945年8月24日)に列車の大きな衝突事故がありました。
八高線列車正面衝突事故
1945年(昭和20年)8月24日 7時40分頃発生
死亡105名、重軽傷者67名。
1両目の客車が、乗り上げた2両目の客車台枠により上部車体を破壊され乗客ごと川に落ちたが、機関車・1両目の台枠・2両目以降の客車は鉄橋上に残り、復旧作業のため機関車と一部の車両を川に落とした。 pic.twitter.com/PJeSXWmFRE— ハチキク (@hachikiku) August 20, 2021
その際に復旧作業をする過程で、機関車は川の中に落としてしまったようなのですが、川の中州にこれらの車輪が取り残されており、この場に保管、展示されるようになりました。(中州に取り残されていた際の写真は、こちら「我が家の近所の鉄道遺跡・JR八高線多摩川鉄橋事故残骸」に写真がありました)
かなり錆びています。
八高線脱線転覆事故
実は八高線ではもう一つ、昭和22年に大きな事故が発生しています。場所は埼玉県日高市の上鹿山、東飯能駅と高麗川駅の間です。終戦直後の食糧難の時代に、客車に超満員の買い出し客を乗せて東飯能駅を出発した列車が、高麗川駅の手前、約1キロの鹿山峠の急カーブを曲がり切れずに脱線しました。この事故で6両編成のうち3両が5メートル下の桑畑に転落してしまいました。
おはようございます。
2月25日、今日は八高線脱線事故発生日です。1947年、東飯能~高麗川の下り勾配区間で超満員の普通列車が過速度でカーブを曲がり切れず脱線転覆。木造客車は大破し184名死亡、495名が負傷する大事故になりました。この事故で木造車の脆弱性が問題視され置き換えが決定しました。 pic.twitter.com/Y5ZVhrbyOz— 新橋ノゾミ🚄バーチャル鉄道員Vtuber (@ShimbashiNozomi) February 24, 2020
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