象の鼻テラスで休んでいた際にiPhoneを使って情報を集めていると、鉄軌道と転車台の遺構が残っているというので探してみました。象の鼻パークを整備している際に見つかったそうです。関東大震災で瓦礫を廃棄した際にこの遺構の上から捨ててしまっていたので完全に隠れていたものが見つかったというのですから興味深いことだと思います。
こちらに遺構発見当時の見学会模様が紹介されたブログがありました。貴重な写真だと思います。
正直、とても分かりにくいところにありました。高架になっている貨物線跡よりも陸側にあります。遺構の上には強化ガラスで蓋をしてあり、上から見ることができるようになっていました。遺構の周りには車両が通行することが無いように柱でガードされています。
案内板もあるのですが、誰かがわざと何かをかけたようで汚れていました。
こちらでは発見されたときの写真や明治の横浜税関の写真が紹介されています。
こちらは横浜税関の建物です。横浜税関敷地内に設けられた手押し車両用の設備が象の鼻パーク整備中に発見されました。発見されたのは2008年です。
すぐ横はかつて鉄道が通っていた高架橋があります。現在は遊歩道になっています。
強化ガラスを通して遺構を見ることができます。
転車台ということだったので、もっと大きなものを想定していたのですが、ななり小さいです。レールの間隔はJRの在来線と同じ1067mmだと紹介されていました。こちらが作られたのは1895年(明治28年)から翌年にかけてとなります。今から120年以上前のもので本当に歴史があります。
転車台の直径は2.5メートルです。トロッコか台車のようなものの向きを変えていたのでしょう。
工事をしていた人はこのようなものが出てきて驚いたのではないでしょうか。
きちんとこのような形で保存されることになって本当に良かったと思います。
転車台は全部で4基あります。
たくさんの人が歩いていますがこのような遺構があることに気が付いていない人も多いのではないかと思います。
写真を撮ることができなかったのですが、象の鼻パークの片隅には転車台そのものが屋外展示されています。
象の鼻テラスに関しては、こちらで紹介しています。
高島貨物線と横浜開港120周年記念列車
写真の中に写っている高架橋は1986年以前は東海道本線貨物支線(通称 山下埠頭線)の線路がありました。1958年に完成した横浜港山下埠頭へ鉄道を敷設することとなり、反対運動がありながらも、1965年7月に開通しています。
1980年6月13日から15日にかけて、横浜開港120周年、横浜商工会議所創立100周年を記念して、東横浜信号場から山下埠頭間で、1日三往復のSL列車が運転されました。C58-1が客車スハ43系4両を牽引しました。
また、横浜博覧会の開催に合わせて、1989年3月25日から10月1日まで廃線跡を利用してレトロ調気動車の運転が行われました。こちらは横浜博覧会に行った際に走っているレトロ気動車を見た記憶が微かに残っています。
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