横浜象の鼻パークにある鉄軌道と転車台の遺構

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鉄軌道と転車台 遺構 横浜 象の鼻パーク

象の鼻テラスで休んでいた際にiPhoneを使って情報を集めていると、鉄軌道と転車台の遺構が残っているというので探してみました。象の鼻パークを整備している際に見つかったそうです。関東大震災で瓦礫を廃棄した際にこの遺構の上から捨ててしまっていたので完全に隠れていたものが見つかったというのですから興味深いことだと思います。

こちらに遺構発見当時の見学会模様が紹介されたブログがありました。貴重な写真だと思います。

「象の鼻パーク」の転車台と軌道跡見学記 | 筆不精者の雑彙
先週の記事で紹介した、横浜港の「象の鼻地区」の「港の貨物線の鉄軌道及び転車台」を見てきました。以下にその見学記を(※この記事以外に、続篇もありますのでそ...

正直、とても分かりにくいところにありました。高架になっている貨物線跡よりも陸側にあります。遺構の上には強化ガラスで蓋をしてあり、上から見ることができるようになっていました。遺構の周りには車両が通行することが無いように柱でガードされています。

鉄軌道と転車台 遺構 横浜 象の鼻パーク

案内板もあるのですが、誰かがわざと何かをかけたようで汚れていました。

鉄軌道と転車台 遺構 横浜 象の鼻パーク

こちらでは発見されたときの写真や明治の横浜税関の写真が紹介されています。

鉄軌道と転車台 遺構 横浜 象の鼻パーク

こちらは横浜税関の建物です。横浜税関敷地内に設けられた手押し車両用の設備が象の鼻パーク整備中に発見されました。発見されたのは2008年です。

横浜税関

すぐ横はかつて鉄道が通っていた高架橋があります。現在は遊歩道になっています。

臨港プロムナード 象の鼻パーク

強化ガラスを通して遺構を見ることができます。

転車台ということだったので、もっと大きなものを想定していたのですが、ななり小さいです。レールの間隔はJRの在来線と同じ1067mmだと紹介されていました。こちらが作られたのは1895年(明治28年)から翌年にかけてとなります。今から120年以上前のもので本当に歴史があります。

鉄軌道と転車台 遺構 横浜 象の鼻パーク

転車台の直径は2.5メートルです。トロッコか台車のようなものの向きを変えていたのでしょう。

鉄軌道と転車台 遺構 横浜 象の鼻パーク

工事をしていた人はこのようなものが出てきて驚いたのではないでしょうか。

鉄軌道と転車台 遺構 横浜 象の鼻パーク

きちんとこのような形で保存されることになって本当に良かったと思います。

転車台は全部で4基あります。

 

鉄軌道と転車台 遺構 横浜 象の鼻パーク鉄軌道と転車台 遺構 横浜 象の鼻パーク

たくさんの人が歩いていますがこのような遺構があることに気が付いていない人も多いのではないかと思います。

鉄軌道と転車台 遺構 横浜 象の鼻パーク鉄軌道と転車台 遺構 横浜 象の鼻パーク

写真を撮ることができなかったのですが、象の鼻パークの片隅には転車台そのものが屋外展示されています。

象の鼻テラスに関しては、こちらで紹介しています。

横浜の象の鼻テラスで休憩
山手で港の見える丘公園や洋館を見学したあと、山下公園を通り抜けて象の鼻パークまで行きました。 象の鼻パークがある場所は横浜港発祥の地でもあります。平成21年に開園した公園ですが、それまでこの大桟橋にも隣接した場所に何があったのか、まったく思...
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高島貨物線と横浜開港120周年記念列車

写真の中に写っている高架橋は1986年以前は東海道本線貨物支線(通称 山下埠頭線)の線路がありました。1958年に完成した横浜港山下埠頭へ鉄道を敷設することとなり、反対運動がありながらも、1965年7月に開通しています。

1980年6月13日から15日にかけて、横浜開港120周年、横浜商工会議所創立100周年を記念して、東横浜信号場から山下埠頭間で、1日三往復のSL列車が運転されました。C58-1が客車スハ43系4両を牽引しました。

また、横浜博覧会の開催に合わせて、1989年3月25日から10月1日まで廃線跡を利用してレトロ調気動車の運転が行われました。こちらは横浜博覧会に行った際に走っているレトロ気動車を見た記憶が微かに残っています。

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