湯布院の温泉街と金鱗湖を散策

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金鱗湖

初めて大分県の湯布院温泉に行きました。今回宿泊の予約をしたのは「湯布院かほりの郷 はな村」という宿です。

JTBの旅行券があったので、窓口でそうだんしながら決めました。この宿は湯布院の中でも中心地にあって散策に便利です。そこでチェックイン後、夕食を食べるまでの時間を使って、湯の坪街道や金鱗湖周辺を散策しました。

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湯布院温泉

湯布院温泉はかつては鄙びた温泉だったようで、昭和のバブル期にも大型ホテルが出来たり、歓楽街が出来たりといったことが無かったそうです。昔はこの辺は盆地で水が溜まりやすく湿地だらけだっだそうです。そこであまり人が住むことがなく街として大きく発展することがありませんでした。

これが幸いして、今の人気の温泉地としての地位を獲得することにつながっています。

しかし、江戸時代にはあるきっかけで湯布院が注目されました。東の大分から西の日田を結ぶ永山布政所道が通った為です。また別府湾につながる経済を支える街道も通っていたため、湯布院(並柳)は幕府の天領となるほどとても重要な場所でした。この並柳という場所は山塊崩壊が発生した小高い丘になっている場所で地質が良かったそうです。

そして明治以降は標高600mから800mくらいのところにある日出生台を旧陸軍の演習場として使い始めました。広大な草原がありアップダウンがあるこの場所は大陸の雰囲気にも似ているため選ばれました。今でも陸上自衛隊の大きな演習場があります。この演習場ができたことで、また人が集まるようになりました。

その後鉄道ができるときに一六曲がりという大きく湾曲させてまで湯布院を通して今の賑わいにつながりました。

ウィキペディアをみると、温泉の湧出量は全国で第2位、温泉の泉質は単純温泉とのことです。源泉の数は852本もあるというので驚きます。なんでこんなに豊富な油量を誇るのでしょう?

まずは熱源ということで由布岳と鶴見岳の2つが活火山があることです。また、水が豊富でうまく熱源に地下水が触れ合って温泉になります。また、東西12kmにわたって湯布院断層があるため、その断層の切れ目から温泉が湧き出しています。

湯の坪街道

まずは、はな村の表玄関から外に出てみました。そこは湯の坪街道そのものです。平日であったにもかかわらず、まるで原宿のような混雑で驚いてしまいました。

特に日本人の他に、韓国語を話す人や中国語を話す人が沢山います。九州に観光に来る外国人が増えているとは聞いていましたが、これほどの状態になっているとは知りませんでした。

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この湯の坪街道、道の左右に本当に沢山のお店が並んでいます。食事ができるところ、アイスキャンデーを売っているところ、スイーツを売っているところ、雑貨を売っているところなど様々です。

こちらのお店は「くまモン」のグッズを扱っていました。

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こちらは、お土産になりそうなお菓子です。

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天空焼あまおうが美味しそうです。

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昔のガソリンスタンドで使われていたもののようです。当時のガソリン価格が掲示されていました。

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ケロヨンがありました。ケロヨンはよく薬局の店頭にあったのを覚えているのですが、元々は日本テレビ系列で放送されていた木馬座アワーのコーナーにあった、「カエルのぼうけん」のキャラクターだったそうです。

木馬座アワーは1966年から1970年まで放送されていました。もう50年も前の出来事です。

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湯の坪街道を歩いて行くと、由布岳がよく見える場所に出ました。由布岳は標高1583メートルの活火山です。最新の噴火は2000年前から1900年前とウィキペディアに紹介されていました。

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金鱗湖

そして、こちらが金鱗湖です。池底から温泉と清水が湧き出ています。また、この池に五つの河川が流入しています。

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レトロモーターミュージアムなる施設もありました。

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ボンネットバスも保存されていました。

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湯布院の湯の坪街道にこれほどの人が観光で来ているとは思ってもみませんでした。大きな観光バスでどんどんお客さんが来ていました。

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