井の頭公園にある「お茶の水」とは

3.5
旅行

井の頭公園にある「お茶の水」

井の頭公園は1917年に開園した日本で最初の郊外公園です。江戸を中心にして関東地方を治めることにあった徳川家康が市民の飲み水を確保するために、ここにあった「七井の池」の水質調査を実施し、そして日本で最初の上水道である神田上水を完成させました。

徳川将軍家の鷹場とお茶の水

江戸時代には吉祥寺や三鷹のあたりは徳川将軍家の鷹狩を楽しむ鷹場になり、初代の徳川家康はお茶を立てるのに湧水池の水を用いたとされています。これが現在でも「お茶の水」として残されている場所になります。井の頭弁財天の近くにある大盛寺の記録『神田御上水源井之頭弁財天略縁起』には、「家康が自らの手で水を汲み、関東随一の名水だと誉めて、お茶を入れるのに使った」という記録が残っているのだとか。『江戸名所図会(井頭池弁財天社)』には「相伝ふ、慶長11年大神君(徳川家康)たまたまここに至らせ給ひ、池水清冷にして味ひの甘美なるを賞揚し給ひ、御茶の水に汲せらる」という記録が残っています。

御殿山とお茶の水

また、家光は鷹狩の際に休憩するために井の頭池を見下ろす小高い場所に御殿を立てたそうです。これが由来となって現在でも周辺の地名は御殿山となっています。

このお茶の水、私が子供の頃には自由に入ることができたのですが、現在は簡単な柵が出来ていてなかに入ることが出来ないようになっています。しかし、すぐ横にある橋の上からは、湧き水の部分が非常によく見えます。

ここから湧き出る水は非常にきれいで、透き通っています。このお茶の水のすぐ上の部分には大きなマンションが建っています。しかし、水脈を塞ぐことはなかったようで、こうやって、水がいつまでも湧き出ていることは素晴らしいことだと思います。

お茶の水の入口には由来を示す案内板がたっています。

その昔、当地方に狩に来た徳川家康が、この湧き水の良質を愛して、よくお茶をたてました。以来この水は、お茶の水と呼ばれています。

お茶の水の案内板

お茶の水へと続く道

とても残念なことなのですが、現在は本当の湧き水ではなくなったそうです。かつて湧き水が豊富だったころには、井の頭公園の七井の池では1日当たり2万トンから3万トンもの湧き水があったようなのですが、30年代から徐々に湧き水の量が減り、お茶の水も昭和40年代のはじめに枯れてしまったのだそうです。お茶の水の前にそびえたつ崖の上には大きなマンションが建ってしまったり、都市化により舗装されているところが増えて、地下に浸透する雨水の絶対量が減ってしまったことが大きな要因と思われます。

当時、なぜこんなところにこんなに大きなマンションを建てる計画が許可されてしまったのでしょう。

現在は5本の深井戸ポンプで水をくみ上げて当時の雰囲気を今に伝えています。

【2017/04/10追記】

白い石

現在はお茶の水のまわりに白い石が敷き詰められていました。

井の頭公園 お茶の水

お茶の水の場所

井の頭公園の中と言っても広いので、お茶の水の場所を紹介しておきます。吉祥寺の公園口から少し南下したところに丸井吉祥寺店がすぐに見えます。この丸井の右隣に入っていく道が七井橋通りです。この七井橋通りをずっと南に進めば公園に入り、そのまま進むと七井橋です。

七井橋の上から西方向を眺めると、大きな白いマンションがあります。ちょうどこのマンションの下のあたりにお茶の水があります。

【2020/08/22追記】

台風通過後の異変

2019年の秋に通過した台風によって、井の頭公園のあちらこちらで水が湧き出るという不思議な現象が発生していました。こちらでレポートしています。

台風19号通過後の井の頭公園では湧き水
台風19号では東海地方から東北地方にかけて沢山の雨が降りました。台風19号が去ったあとの日曜日の井の頭公園に行ってみると、たくさんの人で賑わっていました。まだ、電車が動いて間もない時間帯でしたが、これだけの人で賑わっているとは思いませんでし...

井の頭公園は2016年のアド街ック天国でも特集されました。人面木など不思議な話題もありました。

アド街で特集されたばかりの井の頭公園を散策
三鷹駅から風の散歩道を歩いて井の頭公園に行きました。玉川上水沿いを歩いていくと20分弱で井の頭公園に着きます。井の頭公園では花見シーズンを迎えたということもあって、風の散歩道もいつもよりは人が多めでした。

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