埼玉県平和資料館を見学

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東松山の竹寿司で大盛の海鮮丼を食べた後、高坂にある埼玉県平和資料館に行きました。以前、10年近く前に行ったことがあると思うのですが、今回が二回目の訪問になります。

物見山の公園と共通になっている駐車場にクルマを停めて、少し坂を登ったところに平和資料館はあります。特に入館料等は必要ありませんでした。

館内は常設展示のエリアを先に見てみました。まずは戦前の暮らしを再現した家があります。また当時の料理も展示されていました。

続いて、戦時中の学校の展示があります。門の横には二宮金次郎の銅像もあり、当時を再現しています。決まった時間になると教室の中に空襲警報が鳴って、すぐ裏側にある防空壕に逃げ込むまでを体験できるようになっています。

こちらが教室への入り口です。雰囲気が出ています。

二宮金次郎像です。

こちらが休日になります。

黒塗りの教科書が展示されていました。当時の日本の軍国教育に関わる部分は炭で塗られて読めないようになっています。

こちらは防空壕の入り口です。防空壕がまだ残っている場所はあると思うのですが、中に入ったことはありません。このようなイミテーションの設備であっても、どんなところであったかを体験できるのは良い展示だと思います。

防空壕の内部はとても狭いです。この中に教室の児童が全員入ることができたのでしょうか。

また、パネル展示では、戦前から戦争に突入するまでの様子が展示されています。

さらに戦争の拡大や終結について展示されていました。

映像の展示もいくつかあります。日本国外で行われていた戦争が日本本土への攻撃が開始されるまでが映像になっています。日本への本土空襲が近づいた時の学童疎開、本土への攻撃が映像化されています。

やがて、生活物資の不足から熊笹を食べたという歴史、東京大空襲を通した下町エリアの惨状が映し出されます。埼玉県は終戦までに40回の空襲を受けたそうです。

沖縄での住民を巻き込んだ悲惨な戦争、沖縄戦の終結、ドイツの無条件降伏、広島、長崎での原爆投下と続き、日本も終戦を迎えます。終戦が決定した8月14日の夜に熊谷は空襲を受けて、埼玉県で一番ひどい被害を受けたそうです。ここで映像は終わりました。

常設展示を見終わって奥に進むと、12階建に相当する展望塔がありました。せっかくなので、展望台まで上がって見ました。

全面ガラス張りで外がよく見えます。

晴れていれば池袋のサンシャイン60までもが見えるようですが、この日は霞がかかっていて見通すことができませんでした。

戦争当時を知る人の数は徐々に少なくなっていると思いますが、このように戦争の悲惨さを語り続ける施設というものは貴重なものだと思います。

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