栃木県日光市にある足尾銅山に行ってみました。この足尾銅山、本格的に採掘が始まったのは江戸時代で、その後、20世紀の初めには日本における銅の産出量の1/4をここで担っていたそうです。小さいときに学校の教科書で習ったのをよく覚えています。現在は足尾銅山は閉山されて観光用の施設になっています。
今回は関越自動車道、北関東自動車道を経由して伊勢崎インターチェンジから一般道で向かいました。途中は渡良瀬渓谷沿いの道を進んでいきます。やがて、ナビの指示に従って、道を左に曲がるとやがて足尾銅山観光の駐車場への案内板がありました。この案内板に従って、駐車場へと向かいます。4月上旬の土曜日午後でしたが、駐車場はそんなに混んでいませんでした。
足尾銅山観光へ
こちらが足尾銅山観光の入口になります。
価格の表示もありました。
JAFの会員証を見せると割引が受けられます。
トロッコ列車に乗車
入っていくと待合室があります。ここでトロッコ列車が発車する時間になるのを待ちます。
12時30分発のトロッコ列車に乗りました。前に機関車が付いているのに客車にも運転台があります。
発車間際にカメラを持った人が来て記念写真を撮りたいと言います。撮影そのものは無料で、あとで写真が気に入ったら買えば良いということでしたので、写真を撮って貰いました。(あとで見学が終わった後に写真を売っているところを通るのですが、1枚1000円で販売されていました)
駅を発車すると、ゴトゴトとトロッコは走っていきます。そんなにスピードは出ませんが、振動が直に伝わってきますので、あまり乗り心地の良い乗り物ではありません。そして、しばらく走っていったところに駅みたいなものがありました。もうトロッコ列車は終わりなのかと思ってみてみると、こちらのホームはチェーンで封鎖されていて現在は使われていないようです。しかし、このホームのところでトロッコ列車は停車しました。
ここで前方についていた機関車が取り外されました。そして客車の運転台に運転士さんが乗り込んできて、この先の運転をするようです。
このあとトロッコ列車は坑道の中へと入っていきました。
坑道の中に入っていくとやがて終点になります。坑道はまだまだ奥へと続いていきますが、さすがに一般の人はそんなに奥まで行くことは出来ないようです。ここでトロッコ列車を降りて歩いて坑道の中を見学する形になっています。
トロッコ列車に乗っている時間は10分程度でしたが雰囲気は味わうことが出来てとても良かったです。子どもも大喜びでした。
【2023年2月25日追記】
過疎化が進む足尾地区
このレポートを投稿したのは2010年でしたが、それから13年が経過しました。1916年には足尾町全体で3万8428人が住んでいたのに対して、閉山する前年の1972年4月には1万238人、閉山した10ヶ月後には7569人まで住人数が急減しています。その後も住人数は減り続けていて、2022年10月には1587人まで減ってしまいました。この10年間は毎年70人から140人が減少しています。
【2023年3月14日追記】
足尾銅山記念館を建設へ
日光市足尾町掛水に足尾銅山記念館を建設し2025年5月に開館することが発表されました。記念館は木造二階建てで延べ面積は1245平方メートルです。
大正時代に銅山を統括した足尾鉱業所は1912年に竣工し銅山を統括する役割が終わった後は足利市が建物を購入し移築後に市役所として使われましたが昭和40年代に取り壊されています。
この足尾鉱業所を元の場所に復元して、足尾の光と影や銅山の歴史を一般者向けに展示します。
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