先日、多摩霊園に行った際にすぐ隣にある浅間山にも足を伸ばしてみました。多摩の大地が古多摩川や他の河川で削られて小高い丘として残ったのがこちらの浅間山です。一番高い堂山で標高は80メートル弱です。周りの平坦な場所は標高が50メートルほどあるので、この山は周囲から見ると30メートルほどの高さということになります。
周囲にはこのような山はありませんので、ここだけ山が残ったのはとても不思議です。
堂山のほかに中山と前山の3つの頂があります。山のそばに人見村があったので、人見山とも呼ばれていたそうです。山頂に浅間神社ができたことから浅間山と呼ばれるようになったと言われています。現在は人見村はなくなってしまいましたが、人見街道にその名前が残っています。
この山は近隣の農家の農用林(牧炭林)として活用されていましたが、戦時中は陸軍に接収されて火薬庫がわりに利用されていた時期もありました。
戦後に地元に払い下げられたのち、民間の開発計画を知った周辺の住人や市が自然保護のために都に買い取りを希望し昭和45年に都立浅間山公園として開放されました。
多摩霊園自体も非常に広いのですが、「25区」というところの端っこに浅間山に通じる遊歩道があります。
こちらが多磨霊園の全体図です。
上の地図の左下の緑色になっているところが浅間山です。東八道路から見るともっとも外れた場所です。
下の地図を見ると25区と浅間山の関係が分かると思います。
こちらの石積みの上を上っていく道が浅間山に通じる遊歩道です。
後ろを振り返ると多磨霊園が見えます。
遊歩道を登って行きます。途中までは緩やかな坂道でした。
木々の間からたくさんのお墓が見えます。
道路を跨ぐために作られた「きすげ橋」が見えてきました。
きすげ橋の上から道路を見下ろしてみました。
こちらは北方向を見たところです。
橋を渡ったら浅間山公園の案内図がありました。
きすげ橋を渡ってからは少しきつい階段になりました。雨が降った後で滑るので気をつけながら歩きました。
やがて山頂に着きました。こちらが浅間神社です。円形の古墳に上に祠があると解説しているサイトもありました。
お願いすると出張祭典の対応もしていただけるようです。
毎年4月にこの神社のお祭りが行われます。ここからは富士山が見えるということなのですが、木々が葉っぱをつけて見晴らしがあまり効かなかったこと、この日は雲が多かったことから富士山は見えませんでした。神社には、「木花開耶姫命」が祀られています。
こちらは浅間山の説明が書かれていますが、残園ながらほとんど文字が消えてしまっていて読みにくいです。
こちらは地図の測量で基準になる三角点です。二等三角点「人見」です。
コロナ禍で運動不足のときに散策することで少し運動になってよかったです。
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