古河掛水倶楽部を見学した後に、周辺の施設もあわせて見学しました。
入口の近くには坑内電話の博物館があります。日本に電話が輸入されたのは明治10年ですが、こちらには明治19年に足尾銅山の坑内外に電話が設置されました。
日本における電話商用利用の第一号だそうです。こちらの建物はそんな電話の交換局として利用されていた建物のようです。昭和26年にこちらに電話交換の施設が移転されて、昭和40年には自動交換機が導入されました。
しかし、その後は携帯電話の発達などもあり、平成12年に使われなくなったそうです。ただ、10年少し前までは使われていたことに、逆に驚いてしまいました。こちらの交換機は現在でも利用することが可能です。
こちらの施設の中には、実際にいくつかの部屋に電話機が置いてあり、ダイヤルすると別の部屋に電話をかけることができます。
交換機そのものも公開されています。これは、クロスバー交換機というのでしょうか、それともリレーを用いた交換機なのでしょうか、電話機でダイヤルをするとそれに同期して、交換機からもガチャガチャと音がします。
非常用のバッテリーが設置されている部屋も公開されていました。古い電話を知る上では非常に参考になる場所だと思います。
また、鉱石資料館といった建物もありました。古い木造の家屋がそのまま鉱石資料館となっています。
こちらは、役職の高い方(掛水役宅)が住んでいたようで、床面積は42坪、10畳間が1室、8畳間が3室、6畳間が1室、3畳間が1室、勝手、浴室があります。3畳の部屋は女中さんの部屋として使われていたようです。
言えば平屋建てで昭和時代の雰囲気がとても漂っています。ちょうど、サザエさんの家のような雰囲気もありました。各部屋には鉱石がショーケースに入れられ展示されています。
ただ、かなり老朽化が進んでいましたので、何らかの対応をしないとこのまま公開を続けることは難しいかもしれません。役宅の庭へと回り込んでみました。縁側がとても気持ちよさそうです。
庭に出てみると、小さな木屋のようなものがありました。
そこから中に入ってみると、そこは防空壕でした。古河家の疎開先として使用されたこともあり、防空壕を作ったようです。防空壕は通り抜けられるようになっていて、そのまま掛水倶楽部の庭園に出ました。
掛水倶楽部を下から見ると、こちらの写真のようになっていました。
崖の上に作られていて、建物そのものがはみ出しています。はみ出しているところは、下から鉄骨で支えられていました。
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